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2009年9月 4日

晩夏 - 堀辰雄

晩夏

 しばらくぶりに黒姫の話題を残そう。 と云っても直近の話題ではなく70年前の黒姫(野尻湖)の様子を伝える堀辰雄の「晩夏」である。 書棚を整理していたらポッと出てきたもので、以前に知人が何かの本から複写してくれたものであった。

 軽井沢はもうあきたので、来年の夏に過ごす場所を物色に来たと、野尻湖にたどり着いた様子を書いている。 これを読んでいくと、「あの場所を歩いているな」とか、「あそこにあった宿に泊まった」のだと思い起こせて楽しい。 我々でも国際村の一角に食料品店があったことを覚えているが、これを読むと昔は八百屋や雑貨屋、理髪屋、氷屋などもあったことが分かる。 以前に記した、中村草田男「湖畔」吉田喬松「霧の旅」、また大田愛人さんの著作などにも黒姫の昔を訪ねる行間に接することが出来る。

 なお、「晩夏」については、青空文庫の中で(パソコンで)読むことが出来る。

2009年8月22日

「蝶文明」を読み終えた

 先日出席した講演会で購入した、正木高志さん著「蝶文明」を読み終えた。
 これまで著者の講演は2回聞いたが、その内容にほぼ近い記述で、著者の意図を再確認する意味でも良い著作であった。
 目次には、

プロローグ
part1 : グランウンディング
part2 : ひとつの地球へ
エピローグ

しか記されていないので、もう少し詳しい各章のタイトルを残そう。
part1は、

木を植えたらフシギなよろこびが
walk9 / おむすび巡礼
鍵はどこで失くしたのですか
・ハワイアン ルネサンス

part2は、

日本人が地球人に生まれかわる
神々の危機
どうしてそっぽを向いてきたのだろう
百済のカルマ
9条で宙返り

 これまで日本列島の日本海側には原子力発電所が多く設置(計画含め20数ヶ所、50基以上)されて来ているが、北朝鮮など日本と対峙する国がもしこれら原発施設にミサイルを発射したらどうなるだろうか? という著者の話を初めて聞いた時、震撼させられたというか衝撃波が自分の身に走った。
 普通の日本人は、だから軍備強化をして、向こうが発射する前に叩くのだとか、迎撃するのだと言う。 しかし、それで日本という国を完全に守ることができるのだろうか? 否、出来まい。 発射されたミサイルやロケット弾の一部は日本に到達し、原発施設を被弾させるであろう。 そうなればチェルノブイリであったような未曾有の放射能被害が日本で再び発生することになる。 加え、先の北朝鮮のロケット実験の時を思い起こすと、自衛隊の対処がいかに不備だらけであったことが分かる。
 従前から、原子力の平和利用などあり得ず、六ヶ所村のように核のゴミを数百年、数千年と未来に残すことに疑問を持っていたが、原発施設に加え、米軍の原子力空母や潜水艦なども非常に危険な存在なのである。
 北朝鮮による拉致事件の遠因は、日本政府の戦後処理の拙さ、また自衛隊や在日米軍の軍備強化にあると思う。 「やられたらやりかえす」という子供の喧嘩のような争いのための準備を繰り返していたら、平和な世の中は来ず、沖縄戦のように、いつの世も市井の人々が一番苦しむことになろう。

 地球の自然環境が崩壊しつつあるのは自明の理で、これに戦争による破壊が加われば、人々は住む場所を失い、生きる手立てが持てなくなる。 今日と明日、東京の横田基地ではステルス戦闘機F-22の公開展示が行われるということだが、こんなものは全くの無用物。
1機数十億円か数百億円する戦闘機を日本の自衛隊に買わせようとするアメリカのデモンストレーションなのだ。 結果、北朝鮮などとの緊迫感を一層強めることになる。 逆に言えば、アメリカは北朝鮮が怖いと煽っておいて、日本に戦闘機や爆弾を買わせ、そして国際貢献だと日本(自衛隊)にアメリカ軍の肩代わりをさせようとしているわけだ。

 憲法9条が示す通りに日本に軍隊がなかったら、丸腰の日本に北朝鮮はピストルの銃口を向けるであろうか? 北朝鮮の政治家はそんな馬鹿ではない。 著者が言うように、まず、日本が9条を遵守し、戦わないことの姿勢を示すことが、日本ばかりでなくアジアの平和につながるはずである。

 国境という枠を取り払い、我々は地球人として生き、争いのない世界にするために、東洋的な発想の元に手をつなぎ合おうというのが、本書の趣旨であり、著者の願いである。
 東南アジア、特にインドを長く彷徨った経験で培った著者の感性で本書は書かれている感じがするが、本書は平和学習書としての位置づけにもなると思う。 平易に書かれているので、中高校生が読めば、なるほどと合点すること間違いないし、これから日本を背負う多くの若者達に是非読んでもらいたい。

蝶文明 蝶文明

2009年8月16日

「蝶文明」出版記念トークを聴く

 昨日15日は敗戦記念日であった。 一般的には終戦記念日と呼んでいるが、太平洋戦争は能動的にも自然に終わったわけでもなく、明らかに日本が起こした戦いに日本が負けたのである。 だから、「敗戦」と言うべきだと思う。 そして、広島の原爆記念日からこの日まで戦争の悲惨さ、そして平和の尊さがたびたび叫ばれるが、あの未曾有の被害や、日本国民(のみならずアジア人を含めた)の苦しみを起こさせた、当時の政府高官や軍人に対し責任を求め糾弾する声はなかなか聞こえてこない。 逆に戦犯を奉ったという靖国神社に大臣が参拝することの是(非)ばかりが聞こえ、昭和天皇の責任問題に言及する政治家、知識人、書籍も非常に少ない。 そんな中、かつての軍国主義を彷彿とさせる皇国史観に基づいた文部省検定の歴史教科書を政令都市が採用することに決まったそうだ。 その中には作り話である神話までが収録されていると言う。 これでは先の大戦で犠牲となった兵士、一般人、開拓民、大陸から連行された人々達の生命を冒涜するものであって、戦後の人々(特に政治家や学者、官僚など)は何も学ばずに反省もして来なかったことになる。

 さて、昨年の夏は黒姫にいて、「石の鐘のこだま」や「信州戦争展」など、かつての戦争を思い起こす機会があったが、今年は「嗚呼 満蒙開拓団」という映画を観た以外に何もなかったものの、昨日は、出版記念トークライブに出席して、日本に一番近い国である韓国とのかかわりについて考えさせられるお話を聞いて来た。

蝶文明

 会場は、新宿のNaked Loft。 ライブハウスというらしい、普段なら全く縁のない場所で、小さなステージに30人位しか座れないようなフロアの一角に座った。 前半のミュージシャンについて事前知識がなくその演目も把握していなかったので戸惑う感じもあったが、皆若さに溢れ、思い思いの形でメッセージを送ろうとしている姿に共感できた。

演奏と歌

 そして、後半は、「蝶文明」を出版された正木高志さんのトークであった。 正木さんのトークはこれが二回目で、既に前回聞いていた内容もあったので、自分の理解を再確認する意味にもなった。 正木さんは熊本県の阿蘇山麓に生活の本拠を置き、自然神という観念だと思うが、東洋的思考のもとに、自然との関わり、人々との関わりを求め活動をされている。 そんな中で、原子力問題、日本の軍備問題(憲法9条)を強く意識され、アジアの平和は、日本国憲法の9条を支える所からはじまると、秋には韓国一周巡礼の旅を行い、今なお傷癒えぬ韓国の人々との融和や先の大戦の実態を理解し合おうと計画を進められている。(詳細は、正木さんのページWalk9のページへ)

 昨日手にしたばかりで本書はまだ開いていないが、春に芋虫がたくさんに発生して緑の葉を食べつくそうとするが、その虫はやがて蝶になり、花の蜜を吸い交配を助けるという自然の摂理から本書のタイトルを付けたものと思う。 正木さんには、既に「木を植えましょう」、「空とぶブッダ」、「出アメリカ記」、「スプリング・フィールド」を出版されており、家内は全部購入し読み終えているが、最初に出版された「スプリング・フィールド」が一番理解が難しいと云う。

歌う正木さん

 正木さんは、たぶん自分と同年代だと思うが、朴訥とした話の中に若者を引き込む力があり、これからもいくつかトーク&ライブを予定されているようだった。

正木さん

 そして、会の最後にいつも歌われている「シャンティー」を聴衆と一緒に合唱し終了した。 「シャンティー」とは、「平和 - 心の平和」という意味だそうだ。

 最後に、19日東京・高尾で予定されている正木さんのトーク&ライブのチラシと、三鷹で22日と23日に予定されている「三鷹 いのちと平和映画祭」のパンフを残そう。

2009年6月30日

「永遠の都」を読み終えた

 昨夏、須坂の浄運寺で開かれた無明塾へ出かけた際、講演者の一人である加賀乙彦さんが著作の「永遠の都」を話されていたので講演後に買い求めてみた。 7分冊に分かれた長編で、しかも1冊が500頁もある分量なのでなかなか読み進まないで来ていたのだが、先日やっとのこと読み終えることができた。
 加賀さんについては、精神科医として拘置所の死刑囚などへの医療を行って来られていたという程度の知識はあったが、小説家であるという認識はこれまでなかった。 また医務技官という役職を経てきたと、厳しい人格の持ち主ではないかと勝手に思っていたのだが、無明塾の名だたる講演者であった中野孝次さんのことを、「清貧の思想」をはじめ「清貧」を売り物にして、あの人は随分と潤っていた筈だと、冗談ばかりを話されていたのを聞いて、印象が随分と変ってしまった。 

永遠の都

 さて、その本書「永遠の都」だが、日露戦争の時代から終戦後の昭和時代まで、東京・三田にあったとした時田病院を舞台にして、種々雑多な人物が登場して来るのだが、あの時代の市井の状況はあぁだったのだと納得できる内容であった。 2.26事件や東京大空襲での惨状、学童疎開の様子、また、プロテスタント教会もカトリック教会も時代に迎合して戦争協力した実態など、やはりそうであったのだと頷ける場面が多い。 たぶん、直近の歴史なので時代考証を的確にされて書かれたであろうから、それらは事実として認識できると思う。

 1冊目の後半に、著者と大江健三郎さんの対談が載っているのだが、最後にここを読み直したら、自分の読み方は表面的な事象を追い実に平面的であったということが分かった。 著者が言う「永遠の都」などないとか、小説に結論はない、また、史実を求めるだけでは歴史は分からず、小説という創作の中で問題点が明らかになるという言質にも、何気に納得するものがあった。 「宣告」や「フランドルの冬」なども読んで、著者の人となりを知ろうと思う。

2009年6月 8日

定年後に若がえる生き方

 京都大学名誉教授の大島清さんが著された「定年後に若がえる生き方」という本を読んだ。 本書は、著者73歳の2000年に書かれたもので、その後の生活を知りたくネット検索したが近況を伝えるものは見つからなかった。

定年後に若がえる生き方

 著者は、京都大学、愛知工業大学を経た後、鎌倉に住まいをかまえ、鎌倉の自然に触れながらバイクや水泳に勤しみ、健康な定年後生活をエンジョイされていると著している。
 そして、伊勢と黒姫(大学村?)に別荘をもち、黒姫では「サロン・ド・ゴリラ・野尻」と称して多くの客人を迎え、蕎麦打ちや陶芸などを楽しんでおられて来たとあった。 信濃町内の野菜販売についてはちょっと認識を間違えておられると思ったが細かいことに拘泥するより、著者の意図を大事にしたい。 1927年のお生まれだから今年は齢82。 いまだマウンテンバイクに乗って買い物に出ておられるのであろうか。 老化は筋肉の減少とともにやって来るらしい。 常日頃の水泳やバイク、ウォーキングで体力を落とさない努力は老齢者にとっては必須。
 自分も著者に似た時間の過ごし方をして来たと思うが、その力の入れ方に相当の差があるように感じ、もっともっと工夫の余地があると反省させられた書物であった。
 最後に本書に書かれてある著者の信条を残そう。

○三かく運動
   ”汗をかけ 、 恥をかけ 、 ものを書け

○快楽的老境を保つ五つのカギ 「カキクケコ」

  • 「カ」は感動すること
  • 「キ」は興味を抱くこと
  • 「ク」とは工夫のこと
  • 「ケ」は健康のこと
  • 「コ」は、あるいは恋心のこと

○生き甲斐とは笑顔のことなり 「アイウエオ」(本書エピローグより) 

  • 「ア」は遊び
  • 「イ」は生き甲斐
  • 「ウ」は運動
  • 「エ」は笑顔
  • 「オ」は美味しい=料理

どれも含蓄のあるフレーズである。

2009年6月 5日

「私の夫はマサイ・・・」を読む

私の夫はマサイ戦士

 今日は、「私の夫はマサイ戦士」という本を読んだ。 著者は、海外旅行の添乗員を職業とされている永松真紀さんという方で、アフリカのケニアに魅せられ、観光客ではなく生活者として滞在する中で、マサイ族エウノトという儀式を訪ねる。 マサイ族には少年期から最長老期まで5つの節目があり、その節目ごとに儀式が行われるらしい。 永松さんは、そのエウノトでジャクソンという男性に巡り会うのだが、凛々しい戦士の姿に憧れ再会をはたす。 しかし、ジャクソンは村の長老と合議し、永松さんを第二夫人として迎える話を持ち出す。

 添乗員の仕事からケニアに魅せられた状況を淡々と描写し、首都ナイロビからバスで1日以上もかかるジャクソンが住むエナイボルクルム村の生活、一夫多妻制度のこと、セックスのことなど日本(あるいは西欧)との違いなども書かれており、ある意味では理にかなった成熟した社会(村)のようにも思えた。 第一夫人との関係も良好だと、日本でもよくあった(ある)本妻と妾という関係とは全く異なるらしい。 特に、

愛 = 信頼

と彼女が述べているくだりは、日本など先進国の人々が忘れてしまった、逆に斬新に感じられる部分ではないかと思った。 彼女は、村に専用の住まいを持ちながらケニアを中心に添乗員の仕事を続け、日本に帰っては講演などを行っているらしい。 彼女のホームページがあった。 彼女のスタディーツアーやCDによる収益で、村の生活向上や子供達の教育に力を入れたいという、牛貯蓄プロジェクトを展開している由。

2009年5月19日

ドイツ生活から生まれた私のお菓子

ドイツ生活から生まれた私のお菓子

 国際村に別荘を持つ方から、「ドイツ生活から生まれた私のお菓子」というレシピ集(本)をいただいた。 30数年間、パンやケーキを焼いてきた家内にふさわしい著作物だと特に選んで下さったようだが、下さった方のご主人からは、焼き上げた完成品をぜひ賞味したいという添え言葉付きであった。

 本書を書かれた田中典子さんは、巻頭文によればドイツに30年以上住まわれ、ドイツ人家庭の奥さんから教えていただいたレシピなどを日本人向けに、あるいは日本で手に入る道具や材料に合わせアレンジされてきて纏められた由。

 日本の著名な方のレシピ集には肝心な手順を隠していたり、あえて表現しなかったりするケースが目立つが、本書は丁寧に手順を記しており、しかもパンやケーキの断面を写真で残しているので出来上がりが分かりやすいという家内の感想である。 ただ、材料をひとつひとつ見ると、そのまま使うのではなく他のものに置き換えた方が良いものもあるらしい。

 内容としては、基本生地の作り方からはじまって、ケーキ53種、クッキー26種、塩味のケーキ他6種、パン13種、お祝いのトルテ3種となっている。 目次を見ていると、フルーツケーキやザッハトルテ、クネッケ、シュトレン等々、これまで家内が焼いて来たものもあって、賞味するだけの身ながらも本書は何か身近な存在のように思えた。

 なお、出版元は婦人の友社、頒価3800円とある。 定価という表示でない所を見ると部数限定の出版物なのであろうか、月刊誌「婦人の友」で本書の広告を見たと家内は言うが、サイトの書籍案内では見つけることができなかった。

2009年5月17日

岡部伊都子回顧展

 今朝、京都で開かれている岡部伊都子回顧展から家内が帰って来た。 岡部伊都子さんの著作については家内はかなり以前から読んでおり、自分はそれを傍から眺めていただけの存在であったが、家の建替えなどのため彼女の著作はほとんど処分してしまっており、今となって家内はかなり残念な思いでいる。

 岡部さんの思考の原点は、「お国のためには自らの命も問わない」と婚約者に強く言うことにより、先の大戦で死なせてしまったという痛恨の極みから始まっている。 負傷した婚約者は沖縄の連合軍上陸に伴い、仲間の足手まといにならないためにと自害したとのこと。 岡部さんの著作は130数冊あるらしいが、その主なものはウイキペディアでも知ることができる。

 今回いただいてきた案内を一覧にしよう。

旧宅

 今回の回顧展にあわせ、岡部伊都子さんの旧宅を生前に買い取った料亭が建屋の公開と昼食を提供してくださると、これにも家内は出かけ、しかも近所に住む方から岡部さんの日常生活をうかがうことができて、今回は十分に満たされた京都行きであったようだ。 なお、講演会では、上田・無言館の館主である窪島さんのお話も聞いて来ている。
 その細かい内容をここに記しても仕方ないので、岡部さんの旧宅の写真を少し載せておこう。

岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅
岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅岡部伊都子旧宅

 その料亭は先斗町で卯月という店や大原にも店を出されていると、とても庶民が行けるお店ではなさそうだが、吟味された京料理なら一生に一度は行ってみたい。
 なお、京都の土産といえば八つ橋や漬物が有名だが、今回は進々堂というパンと阿闇梨餅を入手して来た。 阿闇梨餅は求肥が入っているような延びのある薄皮に餡が入っているものだが美味しく、また進々堂のパンは素材の良さが十分に感じられる。 奇をてらわずに素材の旨みで焼き上げているようで、全国見回しても数少ないパン屋さんだと思うが、残念ながら東京圏にはお店がない。

2009年3月27日

伊那谷の老子

伊那谷の老子

 私は、小学生時代から国語という科目には性が合わず、したがって勉強もせず成績も悪かった。 中学に入ると古文や漢文という科目が増え、これらも苦手な科目で、そのため短歌とか詩歌に対する感性もゼロであった。 書道教室に通っていたが自分の筆記文字は醜いままで人様に見せられるものでなかったので、余計にその傾向が強くなっていたと思う。 従い受験は数学と英語で専攻を選んでおり、残念ながらその性分は息子にも伝わってしまった。 しかし、ワープロやパソコン時代になったおかげで文字入力や文書作成には抵抗を感じなくなった。

 そんな自分だが読書に対しては抵抗がなく、冒険や科学小説などは図書館から借りて読んだり、父親が所蔵していた夏目漱石や森鴎外の旧かなづかいの文学作品なども読んだ。
ただ、社会人になるとサラリーマンの処世術本として時代小説を読む風潮があったが、これには何気に抵抗してしまい、読んだといえば徳川家康程度であった。 あとは仕事に関連したもの、そしてパソコン関連が中心であった。

 従い、文章能力が育たないまま老域に達しようとしているのだが、ブログという自己表現の場を見つけ、半分自己満足の中でつたない文章を書いているのが、ここ数年の自分なのである。
 そんな自分も最近はよく本を読むようになったと思うし、読んだ一冊で終わるのではなく、そこから有機的に新しい本を見つけるのが少し楽しい感じにもなった。 そうは言っても家内の読書量には到底追いつけない。 彼女は日に2~3冊読む時があるし、気に入ると読み終えずにはいられず夜中になって睡眠時間をけずっても読んでいる。  彼女は私より小説を読まず、フィクションはあくまでも虚構の世界だという認識を曲げない。

 さて、先月、中野孝次さんの「閑のある生き方」という本を読んだと記したが、その中に、加島祥造さんの「伊那谷の老子」のことが書かれてあった。 そこで、早速、その「伊那谷の老子」を買い求めたのであった。
 加島さんは、昭和20年代に我々の羨望でもあったフルブライトでアメリカ留学をされたというから相当に優秀な方であったのだろう、翻訳を生業にされていたようだが、現在の職業はウイキペディアによると詩人・タオイスト・墨彩画家らしい。 50歳になってから伊那に山小屋を建て横浜から通うようになったらしい。 その伊那谷の状景の中から、老子の詩句を意訳して現代の日本人に分かりやすく記述されたのが本書(本書は再販・再編集の文庫本)らしい。 ドイツ文学から日本文学に視点を変えた中野孝次さんが、志賀に別荘を持ち飯山や中野へ通うようになったと、同じような軌跡をお二方ともされて来たようだ。

 まず、本書を読んで、中野さんが言っておられた「閑のある生き方」の「閑」の意味がやっと分かった。 一般的には「閑」を「ひま」と読み、「何もすることがない状態」と理解されているであろう。 蘇東坡(そとうば)の句の件から、「江山風月無常主 閑者便是主人」の意味を、筆者は「閑ナル者スナワチコレ主人 - 心の閑(のど)かな人こそこの風光を愛でる主人なのだ」と述べている。
伊那谷の田圃の道を歩きながら、その情景に自分を同化させながら、その思いを感じるそうだ。 そんな姿と黒姫に居る自分とを比べた時、自分の生活はあまりにも事柄に翻弄されたものではなかったかと反省した。 もっとゆっくりと心閑(のど)かに木々の間のそぞろ歩きを楽しまなければいけない。

 もう一つ気に入った言葉がある。 それは「無」あるいは「無為」ということ。 「無」は「無」だけで存在することはなく、必ず「有」との対比の中にあるわけで、「有」がなければ「無」はないのである。 「無」という存在なのである。 「虚」や「死」も同様で、著者はこれを「無の有用性」と説く。 我々は「死」を生物としての存在がなくなることと思っている。 しかし、この「死」も「生」と対峙した中で存在しているわけだ。 これを弁証法論法というのか知らないが、日本人の平均寿命の中にのみ自分があるのではなく、生死を越えた宇宙の中にあると思ったら、生物としての「死」などは怖くないし、金銭に溺れ無駄に快楽を求めるより、むしろ自分をもっと律したくなるのではないかと思う。

 本書の中に書かれた加島訳の老子の詩のうち、自分が気に入ったものをいくつか残そう。

まことに、水とは柔らかで弱いものだ。
まあ、こんなに柔らかで従順なものは
他にはないだろうが、
ひとたび固くて強いものを攻めるとなると
どんな大きな石や崖も崩してしまう。
ほかのどんな力もおよばない力を発揮する。
これで分かるように、
弱いように見えるものが強いものを従え、
柔らかいものが固いものを征服する。

これは誰の目にも明らかなんだが、
このことを世の中で実行する人となると、
まず、ごく少ないね。
たとえば、
川はいつも低いところに流れてゆき、
まわりの丘や町から集まる水を受けて
平然としている。
タオを受け容れた人は
その国の汚れや悲しみや惨めさが
すっかり集まる低い所で悠然としている。
まさにその人こそ、
その国の、いや全世界の、王者じゃないか。
だが世間では、
そういう人をけっして王者とはみない。
本当の言葉とはいつも
世間とは正反対のことを言ってるかのように響く
                       (第七十八章)


目に見えぬ大いなるエナジーを受けいれる、
心を空にして受けいれる。
この虚(から)の心があってこそ
見えてくるものがある。--

万物は生れ、育ち、活動するが、
やがてもとの根に帰ってゆく――
その働きが見えてくるのだ。

その行く先は静けさ、
その静けさこそ自然の本性。
水の行く先は――海
草木の行く先は――大地
いずれも静かなところだ。
自分の本性に戻るとは、だから
静けさに還るということ。
それを知ることが智慧であり
知らずに騒ぐことが悩みや苦しみを生む。
いずれはあの静かさに還るとなれば
心だって広くなるんじゃないか。
                  (第十六章)


無為とは、なにもしないことじゃない
誰も、みんな、
産んだり、養ったり、作ったりするさ、しかし
タオにつながる人は
それを自分のものだと主張しない。
熱心に働いても
その結果を自分のしたことと自慢しない。
頭に立って人々をリードしても、
けっして人を支配しようとしない。
頭であれこれ作為しないこと、
タオに生かされているのだと知ること、
それが無為ということだよ。
なぜって、こういうタオの働きに任せた時こそ、
ライフ・エナジーがいちばんよく流れるんだ。
これがタオという道の不思議な神秘のパワーなんだ。
                       (第十章)


ところで
美しいものと醜いものがあるんじゃない。
美しいと名のつくものは
汚いと名のつくものがあるから
美しいと呼ばれるんだ。
互いに片っ方じゃあ、ありえないんだ。
善だって、そこに悪と呼ばれるものがあるから
はじめて善として存在できるんだ。
悪のあるおかげで善があるってわけだ。
同じように
いま存在しているものも
存在していないものがあるから
存在しうるんだ。


タオの働きをたっぷり持った人というのは、
いわば赤ん坊のようなものなんだ。
全く無邪気な存在だから
毒蛇や虎なんかでも害を加えない。
柔らかくて弱々しいが、その
握ったこぶしは固い。
男と女の結合のことなんか知らないのに
小さなチンポコはしっかりと立つ。
というのも常に生気が満ちているからだ。
一日中大声で泣き叫んでも
声がかれないのは
タオの調和の中にいるからなんだ。
大人になって、この調和を知るのが
本当の知恵さ。
ところが自分の欲望を重ね、
増幅させてゆくと、
エナジーは赤ん坊の柔らかさを失い
堅くて強引な暴力に向う、
そして壮年期からたちまち
老化に至るんだ――
強ければ強いほど
老化は早いんだよ。
                (第五十五章)

2009年3月26日

フードバンクという挑戦

フードバンク

フードバンクという挑戦 - 貧困と飽食のあいだで」という本を読んだ。

フードバンク」とは何? まずは本書の「はじめに」の冒頭を残そう。

 フードバンク。
 日本ではなじみが薄いことばだが、最近、少しずつ見聞きするようになってきた。
 直訳すれば「食料銀行」。 でも、食べ物に利息がついたり、貸したり借りたりするわけではない。 預かるのは、まだ十分食べられるのに「売り物にならないから」と捨てられていた食品。 大量消費社会の日本ではこれが日々、膨大な量に上る。 それを食品会社などから寄付してもらい、食べ物に困っている人たちに無料で届ける。 こうした人たちもまた、日本には大勢いる。
 受け取る側には食費の節約に、企業にとっては廃棄コストの削減になる。 この活動を行っている団体、またはシステムのことをフードバンクと呼ぶ。

 すでにアメリカには40年前からこういった組織があるようで、以前テレビの特集番組で見た記憶があるが、すでに日本でもNPO法人として活動していると、その成り立ちや現状、今後の課題などを記しているのが本書である。

 食品会社やスーパーマーケットが食料品を廃棄するのは、賞味期限が来たという理由よりむしろ、包装が破れたとか汚れたとか、ラベルを張り間違えたとか、誤発注等々の方が多いそうだ。 そして廃棄のために多大な費用がかかっていると、それを廃棄せずに集め、それを必要としている養護施設等々に配布しているのがフードバンクなのである。

 日本には、NPO法人として東京と尼崎市にあるのだが、ともに創めたのはアメリカ人。 東京で始めたチャールズ・E・マクジルトンさんは山谷でダウンボールハウスのホームレスを1年半体験したというから、その信念は大そうなものがあろうと思う。

 組織された、セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)は、本書出版時には1年間で約350トンを60の施設に再配分する組織に成長しているとのこと。

フードバンク目次

 しかし、日本には、法人にも個人にも寄付や社会還元という思想があまりなく、リーマン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー、在日アメリカ商工会議所、ニュースキンジャパン、ギャビン・アンダーソン・アンド・カンパニーといった外資系企業による寄付に頼ってきたそうだが、昨年来の不況による影響は大きいであろう。

 本書を読んで、日本人一人の年間寄付額が町内会割り当ての赤い羽根募金を含めても2200円だという数字に驚いた。 1829(文政12)年秋田には、「感恩講」という民間の窮民救済組織が存在した由、そんな実例がありながら、現代の日本人の懐から出る寄付額がわずか2200円とはあまりにも少なすぎる。
アメリカでは個人による寄付が殆どらしい。 個人法人ともに寄付行為に対する税制控除など日本政府はもっと考慮すべきだと思う。

 また、本活動を進めるにあたって、「してあげる、しなければならない」responsibleではなく、求められるものに応える responseの心がなければ円滑に行かないと書かれていたのには含蓄した。

さて、自分には何ができるであろうか? 考えなければならないと思う。

2009年3月 2日

わが心のふるさと 信州

 昨夜、月も星も輝いていると思ったら、11時頃から雪が降り出し、今朝6時にはブルが来て道路の除雪をしていった。 膝ほどに雪に埋まりながら屋根から落ちた雪を片づけたが、軽い雪であったので作業としては楽であった。 そんな雪も昼過ぎに止み日差しが出ていたが、明日以降も雪マークがあるので春雪とはしばらく付き合うようだ。

わが心のふるさと 信州

 さて、今日は、「自然への讃歌 わが心のふるさと 信州」という10年前に出版された本を読んだ。 端から、そのあとがきの前段を記そう。

 この本は、信越放送のラジオ・エッセイ「わが心のふるさと信州」に寄稿して下さった八五人の方々の随筆集である。
みなさんが何らかの形で、信州とかかわりを持たれるのはもちろんだが、その職業は千差万別、同様に「信州」への想いも実にさまざまだ。
 お読みいただければおわかりのように、そこには、体内からほとばしり出た言葉の充実感があり、心を打たれるものが多い。 その人の青春、その人の生き方、いってみれば”自分史”のひとこまが、素直に語られているからだろう。 そして、話の背景には、いずれも美しい自然や人との出合い、素朴な人情がある。 (後段略)

  我が敬愛する、中野孝次さんや窪島誠一郎さんも寄稿されているのだが、原稿用紙3枚ほどの文章で、それぞれの方の想いが凝縮されているとも云えるが、反面やや物足りなさを感じてしまった。 85名全員が、生まれ故郷、そして縁あってかかわりを持った信州に愛着を込め感謝し誇りにされているのであった。

 ところで、本書出版されて10年後の現在は如何であろうか。 皆、日本人の原風景がここ信州にあると思っておられたが、市町村の平成の大合併で地域の特色は無くなり、土建資本が大手を振って自然破壊を行っているのが、現在の信州の姿ではなかろうか。 ここ信濃町にしても、民間企業の利益のために産廃処分場が出来ようとしており、これに対し長野県も信濃町も何の具体策を示さないでいる。 住民の生活や健康を守るのが行政の役目であり、そのために役人は働き、対価として十分な報酬を我々の税金から得ているはずである。

 先日、キャノン大分工場建設にかかわる不正資金の流れの中で、長野県知事の側近の方が検察の事情聴取を受け、表に出来ないものがあったのか自らを殺めてしまった由。 この事件は報道されることが真実なのであろうか? 何か黒い魔の手が背後で動いているような気がしてならない。 85名の著名人が故郷として貴ぶ信州も、中央官庁と同様に薄汚れて来ているのかもしれない。 今年の雪は、中国の黄砂の影響か汚いと聞く。 人間世界も、自然界も清いものが消えつつあるのが、信州の実態だと言えよう。

camino

 さて、Macを使い出して10日ほど経ったが、メインとして使って来るとOS操作にもだいぶ慣れてくる。 相変わらずフリーソフトを中心に良いものがあるとダウンロードしているのだが、今日はCaminoというMac専用のブラウザがあることを知った。
 Caminoというのは、スペイン語で「」。 キリスト教の聖者ヤコブが眠るサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼する道をカミーノというが、その名がこのブラウザには付けられているのであった。 ブラウザとしての特長がどこにあるのかはまだ分からない。 V2.0版は英語だが、V1.6.6版であれば日本語メニューが表示される。
 この流れの中で、Mac用の無料ソフトを一覧しているOpenSourceMacというサイトがあることを知った。 これだけあれば十分Macを使いこなせるというソフトの量なのであった。 OpenSourceに対するきちんとした理解もないのだが、フリーで使えるソフトがあるということは、我々ユーザーにとっては実に有り難いものだ。

2009年2月26日

おバカさんの自叙伝半分

聖書片手にニッポン36年間

 副題に「聖書片手にニッポン36年間」と題された、フランスから来てたぶん在日60年にもなろう、ジョルジュ・ネランという、カトリック教会の神父さんが日本語で書いた本を読んだ。 出版は1988年で、当時67歳というから現在では90に手が届くお歳になっておられると思う。
 ネランさんは、一般人が信じがたい非常にユニークな活動をされて来ている。 その活動とは、スナックを経営しているのである。 それも大変猥雑な東京・新宿の歌舞伎町なのである。 新宿区役所の近くにあるエポペという名のスナックで、1980年の開店だというから29年も経っていることになる。 と書きながら、このエポペを昔から知っていたが、自分自身は機会がなく行ったことはない。 現在は日本人のスタッフが切り盛りしているらしいので、直接お会いするチャンスはなかろう。 さて、そのエポペ開店の所以であるが、社会人への宣教を考えた時、サラリーマンの本音が出るのが酒場であると気がついたらしい。 しかし、神父ではこの道の全くの素人で、バーテンダーの学校に通うことからはじめ、スナックで働きながらシェーカーの振り方など学んでから開店に及んだ由。

 本書は、ネランさんの生い立ちから始まって司祭となる経過を述べ、宣教の仕事がしたいと日本へやって来て、はじめは長崎そして東京で、ネラン塾など活動をしてきたと記している。 東京の信濃町駅脇に、貸ホールなどをしながら学生のための集会室を備えていた真生会館という建物がある。 現在の経営実態は知らないが、かつてネランさんはこの建物の館長をされていた。 自分が学生の時、あるサークル活動でこの場所をよく使わせてもらっていたので、たぶん何度も会っていると思うが、40年以上の歳月が経つとこちらの記憶もかなり曖昧で顔を思い出せない。

 そんな昔を思い出させてくれるような、懐かしい内容に溢れているのが本書なのであった。 「我とは何か、汝とは何か」などと喧々諤々と青二才が集った場があそこにあったわけだ。
 本書の後半では、「キリスト教とはなにか」、「ニッポン、天国と地獄」と題し、聖職者とは思われないような発想で、機智に富ん意見を述べられ、たぶんその多くは一般人でも合点できるのではないかと思う。 修正や校正はあったろうが、ネランさん自身が日本語で本書を記したそうだ。 日本酒好き、温泉好きなど、日本と日本人の良さを本当に理解している外国人の一人だと思う。 それにしても、10ヶ国語以上話すグスタフ・フォスなど海外からの宣教師には、一芸どころか二芸、三芸に長けている人が実に多い。
 本書のタイトルの「おバカさん」だが、これは遠藤周作さんの「おバカさん」という小説に由来するもので、ネランさんをモデルに遠藤さんが書かれていたためで、そのタイトルを逆用したものであった。

 ネランさんの生まれ故郷のリヨンは何もない所と書いているが、私たちは一昨年この街を訪ねており、旧跡の多い賑やかな街だという印象を持っている。 リヨンは2つの川に挟まれ、高台には大きなカテドラルがあり、絹織物の生産地だとかで、確か横浜と姉妹都市を結んでいると、何かの資料で見た覚えがある。

2009年2月17日

「『閑』のある生き方」を読む

「閑」のある生き方

 中野孝次さんの「『閑(かん)』のある生き方」を読み終えた。 本書の出版は2003年7月で、その翌年2月には、中野さんは体調の異変を感じ、診察を受けるため病院の門をくぐる。 食道ガンという診断に平静を保ちつつ苦悩する様子は、かつて読んだ「ガン日記」に記されているが、ちょうど1年後の2004年7月に他界されている。 そして現在は、奥様ともども信濃町から車で30分程の須坂市にある浄雲寺の一角で永眠されている。

 本書は、40代半ばになった甥っ子さんに、老年の準備を今から始めよと説く所から始まっているが、趣旨の理解は前書きを読むのが一番手っ取り早いから、その一部を記すことにした。

 社会に出て働くかぎり現代人は大抵の人が多忙を強いられている。 朝の通勤地獄から始まって、勤め先に行けば同僚との打合せ、仕事、会議、他社との連絡と交渉などで一日が過ぎ、退社時間が来てもまっすぐ帰れる人はまずいない。 職種によっては夜中近くまで拘束される人もいる。
   (中断)
 多忙の中にあってはそういう心の世界に入れない。 一人きりになって、他に気を紛らわせる何もなく、「閑」という状態に身を置くときだけ、人は全体としての自分を取り戻す。 それが生きるということだ。 わたしが老年を人生の一番いい時だというのは、そこではすべての時間がまるまる自分のもので、時間を世間のために奮われないですむからだ。
 つまり人は「閑」の中でのみ真に自分の人生を生きることができる。
   (中断)
 セネカは「閑」の中でだけ人はその本来の自分を取り戻し、よく生きることができる、といろんな所で言っている。
   (中断)
 だからこの本ではもっぱら、早く閑のある生活を得よ、社会で働いているときから少しずつ軸足を社会から私生活へ、外から内へ移してゆけ、とすすめることになった。
   (後断)

 これまでの著作と同様に、老子、セネカ、吉田兼好、良寛、エピクテートス、ヘッセ、キケロなどの著作や詩歌から引用し、ストイック的生き方が何故必要なのかを説いている。 老年になればなるほど「清貧」に徹することが、「今を生きる」ことにつながるのだと、つまる所、人は生物としての生死を越えた普遍的な存在になれると、次の文面からも分かって来る。 それは、中野さん独自の「悟りの境地」とも言えるのだろうが、そのことを「老子は『道』といい、セネカは『自然』といい、趙州や大梅は『仏』といい、エピクテートスは『神』といい、名付け方は人それぞれちがうが、永遠なるいのちを指すことでは同じだ。」と述べている。

 含蓄のある引用が多いが、その中から二点残してみよう。 まずは加島祥造訳の老子の詩句から。

ぼくらはひとに
褒められたり貶されたりして、
びくびくしながら生きている。
自分がひとにどう見られるか
いつも気にしている。 しかしね
そういう自分というのは
本当の自分じゃあなくて、
社会にかかわっている自分なんだ。

もうひとつ
天と地のむこうの道(タオ)に
つながる自分がある。
そういう自分にもどれば
人に嘲(あざ)けられたって褒められたって
ふふんという顔ができる。
社会から蹴落されるのは
怖いかもしれないけれど、
タオから見れば
社会だって変わってゆく。 だから
大きなタオの働きを少しでも感じれば
くよくよしなくなるんだ。
たかの知れた自分だけれど
社会だって、
たかの知れた社会なんだ。

もっと大きなタオのライフに
つながっている自分こそ大切なんだ。
そのほうの自分を愛するようになれば
世間からちょっとパンチをくらったって
平気になるのさ。 だって
タオに愛されてる自分は
世間を気にしてびくつく自分とは
別の自分なんだからね。

社会の駒のひとつである自分は
いつもあちこち突き飛ばされて
前のめりに走っているけれど、
そんな自分とは
違う自分がいると知ってほしいんだ。 

 そして、同じく加島祥造訳の「伊那谷の老子」から

君はどっちだね--
地位が上がるためには、そして
収入や財産をふやすためには
自分の体をこわしたってかまわないかね?
自分の生きる楽しさを犠牲にして
名誉や地位を追う者は、実は
いちばん大切な「何か」を取りそこねているんだ
マネーをひたすらためこむ者は、実は
大損をしているのさ。
いま自分の持つもので満足する人は
デカイ顔でいられるんだ。
まあこんなところで充分だと思う人は
ゆったりと世間を眺めて
いま持つもので結構エンジョイできるのさ。
すると、そういう人は
思いのほか長生きするのだ、あくせく
地位やマネーを追う人よりも --

2009年1月 9日

テキヤ一家のおばあちゃん

テキヤ一家のおばあちゃんに学んだ10の教え

 コピーライターの大谷峯子さんという方が書いた、「テキヤ一家のおばあちゃんに学んだ10の教え」という本を読んだ。
 作者の祖父はテキヤの親分であったと、祖母の生活も夜店稼業に明け暮れていたらしく、作者が成長していく中でのエピソードなどを思い出し記している。
 テキヤと聞くと、渥美清が主演していた映画「寅さんシリーズ」をついつい思い出してしまうが、あの映画では実際のテキヤとは随分と違って描かれているらしい。 またテキヤはヤクザと同一視しがちだが、これも全く異なるものと本書に記されている。
 テキヤには神農(しんのう)道という特別な掟や美学があるとのこと。 そういえば以前に香具師(やし)に関する本を読んだことがあるが、香具とは仏具や仏画のことでこれを売る人を香具師と呼んだ。 仏法に関する知識が必要であったと武士がこれにあたっていたらしいが、香具にとどまらず商売の幅は広がっていたらしい。 豊臣の残党がうごめく徳川の時代に、身分を明確にするため商売人には屋号が強いられ、小さな弓に矢をつがえて射させる商売、矢場をしていた香具師は的(まと)の看板を出していたが、これにならい「的屋(まとや)」と名付けた所、テキヤと称するようになった由。 従い、香具師、テキヤ、啖呵(たんか)売などは同義語なのであろう。

 本書の後段で、作者がコポーライターという自分の仕事を祖母に説明する行(くだり)がなかなかいい。

 ということから、私は祖母に、コピーライターという仕事の内容を説明した。

 ある品物を買ってもらうために、その物のいいところを強調して説明するための、文句を考える。 また、その商品にあわせて、なにかわくわくするようなおまけやら、売り場の飾りつけやらも考える。 よく売れるように、その商品の楽しい、覚えやすい名前を考えたりもする。 それは、マーケティングって呼ばれている。

 というようなことを、あれこれ祖母に説明した。

 すると祖母は、こういった。

 「つまり、おまえのやっていることも、わしら一家がやってきたことも、おんなじや」

 「おばあちゃんは金魚すくいをもっぱらやってきたけど、あれなんかも、ただ金魚屋で金払って金魚買うのんとは、かいもく意味がちがう。 自分の力ですくった金魚、いうのんに意味があるんや。
   お客さんに楽しんでもらう、いうこっちゃな。
   おまえのやっていることも、おんなじ。
   それはなあ、ほんのちょっとしたことなんや。
   針金に貼りつけた、たった紙1枚のことなんやで」

 「ほんま。 そやなあ!
  なんのことはない。 あたしのやってることも、ただ言葉をあれこれひっくりかえしてるだけやもんな。」

 「けどな。 その紙1枚、言葉1つが、大事なんや。
  たかが紙1枚やけど、ほんなら、おまえも、金魚すくいとおんなじようなアイデア出してみろ、いうたら、なかなかできるもんやない。
  紙1枚の不思議さやけど、そこにはなにか、確かなもんがある」

 初めに掲げた目次をご覧あれ。 今の代にも通用するではないか。 現代人が、幼少期からこのようなことを学んでいれば、今の社会はもっと落ち着いた明るいものになっていたであろうと思う。 同族企業、二世三世議員などというのは神農道に悖る所作だとも言えることになる。

テキヤ一家のおばあちゃんに学んだ10の教え

2009年1月 8日

神の発見

神の発見

 家内の友人が貸してくれた「神の発見」という本を読んだ。 本書は、作家・五木寛之とカトリック教会司教・森一弘との対談をエッセイにまとめたものである。
 仏教者である五木寛之がキリスト教についての知識がないと、繰り返す不躾な質問に対し森一弘がひとつひとつ丁寧に説明していく。 そして仏教者とキリスト者としての共通項を見定めていくのが本書であると思った。
 森一弘は教会という組織の重職にありながら、その思考は権威主義的でなく曖昧さに溢れているようで、教条的でなく、また原理主義的でもないキリスト者を見た思いがした。

 かつてのキリスト教会は、帝国主義侵略の先兵となった布教活動、「神の名」を騙ったパックスアメリカーナ、アフリカ・中東・東南アジアにおける貧困や殺戮に耳をかさない大国の存在などと協調し、その組織は平和を希求していると言いながら相反する位置にあるように思われた。
 そして、現代の日本を見れば、国家神道に迎合する高慢なカトリック信者である作家・曽野綾子、はたまた現在の首相である麻生太郎もカトリック信者だそうだが、彼の会社の一つであった麻生鉱業は戦時中に捕虜や韓国人を強制労働に使った疑いがある。 そして、公明党の母体である創価学会や時々物議をかます統一教会とも政治的には近い存在にあるらしい。 このように、我々市井人には思いもつかないような思考をするキリスト教信者は他にもあろう。 信仰と体制や組織を一緒に考えると、物事の本筋を逸れてしまうとは思うのだが、彼等がキリストが願う平和へ真に向いた思考をしているのかはなはだ疑問に思えて仕方ない。

 これまでそんなことをぼんやり思っていたのだが、本書を読んで森一弘司教の宗教が持つ曖昧さに何気なく納得できたように感じた。 宗教も時代に応じた姿をしていたのであろう。 その一点を見ただけで弾劾してはならないと思う。 本書は、宗教とは何か、その緒に立つ人にも理解しやすい。 後段の一部を残そう。

五木 それは大いなる誤解だと思いますね。 イスラム教徒のジハードを、テロリストと呼ぶ彼らのこころのなかに、同じように、これはキリストの名によるジハードだ、聖なる戦いだ、自由と民主主義を回復するんだ、抑圧から人びとを解放するんだ、という気持ちがあるからだと思うんです。

  そうでしょうね。

五木 私は、そういうことだと思うんです。

  私はその点、日本という文化のなかで育つキリスト教は、他の国々の教会がもっているものとは違う、なにか特別な役割を果たせるんじゃないかなと考えています。 アメリカの教会はアメリカの歴史のなかで、ヨーロッパの教会は、ヨーロッパのいろいろな歴史のなかで育っている。 日本の教会は、また違う歴史のなかを歩んでいるわけですから、世界のキリスト教会に貢献できる、独自のものが育つと確信しています。

五木 ええ。

  たとえば、前にもお話ししましたが、マザー・テレサは、死んだあとインドで国葬とされました。 ヒンドゥー教の国での国葬でしたが、しかし、葬儀は、カトリックの儀式でした。 彼女は、生前、死んでいく人たちが、イスラム教徒ならイスラム教に応じ、ヒンドゥー教徒ならヒンドゥー教のお経を立てたのです。

五木 個人個人の信仰を大事にしていたんですね。 それは、本人が、こころから自分の信仰を大切にしていなければ、他人の信仰を尊重することはできないことです。

  本当にそうですね。 従来のカトリック教会だったら、頭から否定されていたことを、マザーは信念をもって実践したんですね。 一人ひとりの人生、人間のいのちが、なによりも尊いという信念です。 そうした信念を支える、神への、キリストへの理解が、彼女にあったと思うのです。

五木 そうですね。 私は最近、既成の情報、常識、哲学などに個人が合わせるのではなくて、自分の生きかた、自分なりの人生観を確立させることが、非常に大切ではないかと考えているんです。 だから、仏教にしろ、キリスト教にしろ、与えられた教義や信仰を、そのままに受け入れるのではなく、自分なりに咀嚼し、自分にあった、自分だけの信仰をつくることが、いちばん大切ではないかと思っているのですが。

  私も、同じことを、かねがね考えてきました。 これまでの教会の教義として教えられかたをもって、祈って、信仰を育てていくことが大切なのではないかと・・・・・。

さらに、

五木 ああ、光としての神、闇を照らすエネルギーとしての存在ですね。

  ええ。 私たちを包みこむ、光があるという信仰に徹していれば、私たちの生きている現実も、自分のなかの醜さや、罪深さは変わらなくとも、こころの奥は、穏やかに安らいでいきます。

五木 私たちは、はたして自分のなかに宿る光に、見えざる神を発見することができるのでしょうか。 でも、森さんのお話をうかがっていて、なにか目に見えない希望のようなものを感じることができました。 ありがとうございます。

 本書の中で言われているように、信仰は、個人と仏とか、個人と神という対峙した存在でなければならない。 集団や組織を含めて、教えを理解しようとすると、誤った坩堝にはまってしまうであろう。
 昨年11月、青山俊董師講演を須坂で聞いたが、その講演の最後で師は、何世紀にも渉って人々の心に生き続けてきた宗教に触れてほしいと仰っていた。 近代経済の発展の中で割拠してきた新興宗教や新宗教は、人々に平安をあたえる信仰ではないと、彼女は暗に示されていたであろうと思う。 現代にあっては、オウム教のように、その出だしで選択を誤ると人生を棒に振るようなことにもなる。 本書のようなものから、宗教への偏らない良質な理解を得ることをお薦めしたい。

(追記)本書の目次をイメージに落とし追加。
      目次1   目次2   目次3

2008年12月11日

「魂のレッスン」を読む

 C.W.ニコル氏の著作「魂のレッスン - ぼくとモーガン先生の日々」を読んだ。 ニコルさんの著作は失礼であるが稚拙な部分もあって、これまで多くを読んではおらず、時折(古)書店で見つけると買い求めているのだが、本書を読んで久しぶりに爽やかな思いがした。

 本書の主人公である祐介という少年が登校拒否を繰り返す中で、イギリス赴任の父親と報道関連の仕事をする母親は一計を案じ、少年を祖父母が暮らす郷里での生活を勧める。 その郷里とは当然黒姫だと思うのだが、祐介は、奥さんを亡くして愛犬と暮らすモーガンさんと知り合い、自然との関わりに目覚めて行く。 捕まえた熊を放す話や、川の改修工事のこと、森林伐採や産業廃棄物の違法投棄など、今まさに黒姫で起きていることや過去に起きたことなどがテーマやモチーフにされていると思える。 モーガンさんは当然ニコルさんをモデルにしているのであろうが、登場人物の何人かは実際に黒姫に住むあの人をモデルにしているのではと思えたりして楽しい。

魂のレッスン

 祐介がイギリスへ留学し、さらにケンブリッジ大学へと進むのだが、そんな間にモーガンさんは亡くなる。 モーガンさんは自分の想いを十分に継いでくれた祐介に住んでいた建物や土地を遺すのだが、老境に入りつつあるニコルさんの想いがここに描かれているようにも思えてしまった。 的確な表現が見つからないが、中学から高校にかけて成長していく若者に、生きることの意味や自然との関わりなどを含め、本書は考えるヒントを与えてくれるではないかと思った。 信濃町の中学校など、できれば推薦図書のような形で置かれていたら嬉しい。

 祐介がモーガンさんに英会話を習う場面があったり、海外の人々との交流、さらには英文があちこちで出てきたと思ったら、本書はNHKラジオ新基礎英語のテキストに連載されたものを1冊にまとめられたと巻末に記されていた。

2008年11月24日

無言館と無明塾

 今日は、信越線開業120周年記念SL・DL信越号の最後の営業(運行)日であった。 早朝はかろうじて雲が切れていたが間もなくどんよりとした空になってしまった。 次回SLが黒姫に来るのは何年後であろうか? 5~6年後の北陸新幹線の全面開通に伴い信越線の営業存続は風前のともし火状態らしいのだが、今回のようなイベントが廃止のエクスキューズにならないことを祈りたい。 さて、試運転4日間+営業運転3日間のうち、中4日間D51とDD16を撮り続けたので、今日は天気が良くないこともあって、信濃町を離れ上田の無言館へと向かった。

 無言館へはこれまでも何回か訪ねているが、去る9月に第二展示館が出来て、まだ見ていなかったので今回訪ねたものであった。 作品を見て何気に自画像が目立つように思われたが、戦地へ赴く画学生の「もし内地へ帰れなかったら」という心境の現れではなかったかと感じ入るものがあった。 駐車場はほぼ満杯で、無言館への一般の関心が強いことがうかがえたが、入場料の支払い方が従前と同じように鷹揚な方式であった。 入場者の心を信ずるという窪島さんの一徹がいまだ生き続けているように思われた。

無言館第二展示館
絵筆のモニュメントモニュメントの赤ペンキの説明

 展示館前に立てられたモニュメントには絵筆が組み込まれているのだが、右上部に赤いペンキが付いていた。 また嫌がらせの悪戯ではないかと、数年前に無言館前の慰霊碑に赤ペンキがかけられたという事件を思い出したのだが、多様な考えの人が居ることを忘れないために、このようなモニュメントにしたと裏面に説明書きがあった。
 もう紅葉も終わって前山寺の庭も寂しいものであったが、樹齢700年のケヤキの木や胡桃餅だけは忘れなかった。

浄運寺

 午後からは須坂へ戻って上信越道インター近くの浄運寺へ向かった。 2時から行われる青山俊董師の講演「出会いは人生の宝を聴くためであったが、駐車場がほぼ満杯に驚き本堂へ行くと、檀家法要が午前中からあって、それが終わってから講演があるとのことであった。 最後のお経の中で供養者の名前が上げられたのだが、「中野孝次」さんのお名前がはっきりと聞こえて来ていた。
 本堂に入ると檀家の人達であろう8分ほど畳敷きが埋め尽くされており、わずかに残った空間に腰を下ろしたが、身動きできないほど一杯になっていた。
 青山師は76歳ほどであろうか、にこやかな表情をされ、非常に平易な言葉遣いでわかり易く、人間の生き方を説かれていた。 まず自らアンテナを立てて自分で感じ考えることが必要だという話から始まって、最後には、喧嘩しそうになったり愚痴を言いそうになった時は、まず合掌から始めたらいいと仰っていた。 1時間半の間に大事なフレーズをいくつも話されていたが、その要旨をまとめていつかここに残そうと思う。 家内が著作を数冊購入したので読みたい。

浄運寺

今日の暦から : 食事は常に規則正しく

2008年11月13日

70歳からのひとり暮らし

2007年一茶忌の日に2007年一茶忌の日に

 昨年、一茶忌の日の前日から雪が降り出していたのを思い出し、温かい日和になったので、車のタイヤを冬用に履き替えた。 昨年、全国的に良く知られたカー用品のチェーン店で交換してもらおうとしたが、どうしても1本のナットが外れないという。 仕方なく家に戻って、自分で回したら難なく出来てしまったので、今回は全部自分で交換した。 交換作業は簡単なのだが、木枯らしが吹くような日であったら、ちょっとめげてしまう。

70歳からのひとり暮らし

 さて、作家・遠藤周作さんの奥さんである遠藤順子さんが書いた「70歳からのひとり暮らし」という本を読んだ。 平易な文体で、周作さんとの約束や一緒に生活されていた頃の話題、ひとり生活をされている日々のことなど、その中に周作さんとの共生感をあちこちに散りばめておられ、読後感がさわやかなものであった。

死ぬまでの残り時間だからこそ、自由きままに楽しく忙しく

1章 心配無用! 「ひとり暮らし」はこんなに楽しい
---世間体、義理から自由になってできること
2章 70歳を過ぎて、不平・不満を言っているヒマはない
---「おつりの人生」を目一杯、楽しむ
3章 いまの日本は家庭が危ない。 年を取ったからわかること
---若い世代の人たちに聞いてもらいたい
4章 おばあさん、おじいさんの「出番」です
---人のために時間を使うと、毎日はもっと楽しくなる
5章 最愛の人を失ってからの行き方
---死ぬのが怖い人は、いつまでも欲深い人
6章 だから「死に支度」は忙しい
---エチケットとして、家族のために最低限しとくべきこと

 若い人も老齢の人も、これを読めば人生の指南書になるのではないかとも思った。 死を迎える直前まで、人間はポジテイブな生き方をしなければならない事がよく分かるし、そういう生き方をしていれば、死も容易に受け容れることができるのであろう。
以前に書いた、「清貧の生きかた」や「60歳からのシンプル満足生活」にも通ずる文脈があるし、宗教的な精神性から見ても深みがある。 周作さんの著書「無駄なものはなかった」と同様に座右の書としたい。 周作さんが天国へ一緒に持って行ったという「沈黙」と「深い河」を、そろそろ読み直したい心境になって来た。

 順子さんはもう齢80を越えられたであろう、今も軽井沢で一人住まいされているのだろうか。 円ブリオ基金センターの理事長をされ、全国を講演に回っておられるようだ。

 次の写真は、今年2月長崎へ旅行した時に撮った、お二人の色紙。

周作さんの色紙順子さんの色紙

今日の暦から : ネギは風邪撃退の特効薬

2008年11月10日

清貧の生きかた

 今年の春、良寛の里を訪ねたことがきっかけとなって、中野孝次さんの数々の著作に出会い、また生前に須坂の浄運寺で例年夏に行われている無明塾で講師をされていたと知り、我々は今夏初めてその無明塾に参加することが出来た。
 その中野さんの著作の中で一番知られているのが、「清貧の思想」であろう。 

生活を極限にまで簡素化し、心のゆたかさを求めた われらの先達。
西行・兼好・光悦・芭蕉・大雅・良寛など 清貧に生きた人々の系譜をつぶさにたどり、われら今いかに生きるべきかを改めて問い直す。

と帯に記し、冒頭から、前田家の殿様へ茶の具を譲れという申し出を断った本阿弥光悦、そして母親の妙秀(みょうしゅう)のエピソードを載せている。 

 語録を見ると妙秀は、貧困ゆえに起こる不幸よりも富貴が人の心に及ぼす害毒を重視し、人でなしとなって富貴であるよりは貧しくて人間らしいほうがよほどよい、と考えていたようなのである。

そんな出だしの「清貧の思想」だが、引用に古文や歌があり、なかなか読み進めないでいる。

 所が、小崎登明さんの「十七歳の夏」という著作を読んでいたら、中野さんの著作の中で小崎さんを紹介してくれたとあり、中古本検索で見つけたのが、この「清貧の生きかた」であった。

 この本は、中野孝次さんが「清貧の思想」を出版されてから、「たんなる貧乏礼賛とか貧乏へのすすめ」だと理解され、批判する人が多かったため、これが「清貧」な生き方だと、具体的に紹介しようと纏められたのが本書なのである。 従い、本書は、「中野著」ではなく、「中野編」となっている。 その目次を示そう。

清貧の生きかたとはどういうものか中野孝次
  Ⅰ 内面への旅 - 俗を離れて 
その先生の心田水上 勉
真実の自己を求めて -捨ー坂村真民
清貧との出会い小崎登明
  II 自然との共生 
森の世界高橋延清
木のはなし志村ふくみ
崩れ幸田 文
自然の遊行者今西錦司
五つの根山尾三省
洟をたらした神吉野せい
  III 古典に学ぶ - 清貧の系譜 
本阿弥行状記空中斎光甫
方丈記鴨 長明
徒然草吉田兼好
良寛禅師奇話解良栄重
   IV 清貧に生きる 
ゼイタク論三木 卓
酒屋へ三里、豆腐屋へ二里安岡章太郎
貧乏論鈴木大拙
失われた時を求めて中村達也

 吉野せいさんの「洟をたらした神」は、遊び道具を自分たちで作り出した、あの子供時代を思い出させてくれ、大変懐かしい。  また、最後の「失われた時を求めて」では、ミヒャエル・エンデの「モモ」についての記述がある。

 ところが、モモを取り巻く世界は、「時間泥棒」によって支配され始めている。 人間らしく生きるための、ゆったりとした豊かな時間がじだいに失われて、人々は、「時間がない」「暇がない」と口々に語り始める。 人々は、「良い暮らし」のためと信じて、必死に時間を節約し、せかせかと追い立てられるようにたち働く。 大人達だけではない。 子供達までもが遊びを奮われて、「将来のためになる」勉強をあてがわれる。 そのようにして節約された時間が「時間泥棒」の命の糧なのである。

 黒姫童話館は、エンデの作品を展示する所から始まっているが、エンデの生涯や彼の作品を展示しているだけであると記憶している。 童話「モモ」にそれほど深い意味があったとは知らなかったのだが、「清貧な生き方」を示す作品として、子供たちへの具体的な説明があってもいいように思う。

今日の暦から : 愛情料理は身につく

2008年11月 2日

(新)常識ダイエット

 一昨日、「ローフードな(食)生活」という記事を書いたが、家内が「整形外科医が実践した-(新)常識ダイエット」という本を知り合いから借りてきたので読んでみた。

 著者は、外科医という職にありながら、50歳台を前に身長177cmに対し89.5kgという体重になり、日中睡魔におそわれたり、手術中に腰の痛みを感じるようになって、減量の必要性を感じたとのこと。 そこではじめたのが朝食バナナダイエットであった由。 結果22kgの減量に成功したと、それまでの経緯や健康な体を得るための工夫をされ、本書をまとめられたようだ。 発行日が2004年2月となっているので、それからだいぶ経過していることになる。

 ダイエット本はいろいろあり、信頼するには一歩も二歩も退いて考えなければいけないものがある中で、この本を読みすすめるうちに、これまで知ったナチョラルハイジーンローフードに共通した認識があり、大変参考になるダイエット本だと思った。

(新)常識ダイエット

 まず人間の消化器官の1日のサイクルを考え、

4時~12時 : 排泄、 12時~20時 : 消化、 20時~4時 : 吸収

という時間割に合わせ食事をしなければならない。 従い、朝は食べないか、空腹感を満たす程度の消化の良い食事に限定され、果物が相応しいこととなる。 そして夕食は夜8時までに終わらせる必要がある。 また食物の内容により、消化される時間がまちまちであることから、生野菜、調理した野菜、米飯という順を守る方が良い。 そして、消化面から食後のデザートとしての果物は不可。 なお、以前にも記したが、酸性食品である人工食品や動物性食品は極力摂らない。 牛乳などは骨粗鬆症に良いと思って飲む人が多いらしいが、本書でも逆の効果があると否定している。 当然、砂糖や炭酸飲料の類も体には毒だ。 本書でダイエットのポイントとしてあげてあった26項目を記そう。

 1.朝ふとんから出る前にエクササイズを - 肉体は時間とともに変化する
 2.朝起きたら水分の補給を - 朝の水分が大切
 3.朝食は果物だけ - 朝食は無理して食べる必要なし
 4.牛乳やヨーグルトなどの乳製品は避けよう - 牛乳を飲まない国民は骨粗鬆症が少ない
 5.朝起きぬけの”しっかりした”運動は禁止 - まずは軽く体を動かして
 6.朝は有酸素運動を中心に行おう
 7.ウォーキングをしよう - ウォーキングは優れた全身運動である。
 8.おやつやお茶についての正しい認識をもとう - 飲むなら緑茶かウーロン茶
 9.会社勤めの人でも運動はできる
10.運動中は自分の脈をチェックしよう
11.活性酸素を出す悪者を避けよう - たばこは百害あって一利なし
12.肩こり体操と腰痛予防法を覚えよう
13.呆け予防法を覚えよう - 体と頭を使おう
14.お酢は体にとっては毒なのです。 - 肉体は本来、酢を拒否する
15.炭水化物を補助的に食べよう - 脂肪の取りすぎこそ肥満の原因
16.たくさんの種類の野菜を生で食べよう - お昼は野菜と炭水化物
17.肉を食べるのは控えよう - 肉類の食べすぎはさまざまな疾病のもと
18.自分が「顆粒球人間」か「リンパ球人間」かを知ろう
19.昼寝をしよう - 15分の昼寝が心身を再生させる
20.夕食は今までどおりの食事内容に野菜を加えて - 夕食と就寝は時間をあけて
21.アルコールの特性を理解しよう
22.生きがいを見つけよう
23.プールへ行こう
24.森は命の泉です - 森林浴は心身をリフレッシュさせる
25.温泉浴を正しく理解しよう
26.スーパー銭湯をじょうずに利用しよう

 また著者は、「壮快」という雑誌にも寄稿されていたので、その該当頁だけここに載せておいた。

朝バナナで医師の私は22キロやせ - その1

朝バナナで医師の私は22キロやせ - その2

 この雑誌は今年の4月号。 9月であったか、野菜売り場や果物売り場から一斉にバナナが消えてしまったことがある。 歌手か俳優かは知らないが、バナナダイエットで痩せたらしく、それを知った人たちが、我先にとバナナを買い占めていたらしい。 1~2週したら、もう飽きたのか売り場は元に戻っている。 そんな一過性の認識では健康な体を得ることは出来ない。 安易な情報に惑わされ、愚かしい行動に出るより、本書のようにきちんとした実証のあるものから、自分なりの食生活を考えるべきである。

 加え、信濃町は「癒し事業」を行っており、「癒し弁当」などというものがあるらしいが、こういうきちんとした食生活と健康生活を志向した内容に基づいた事業にすべきで、単に人集めと思われる「癒し」などは行うべきではないと思う。

今日の暦から : 乾布摩擦で風邪知らず

2008年10月21日

森の世界

森には
何一つ無駄がない
植物も 動物も 微生物も
みんな つらなっている
一生懸命生きている

一種の生きものが
森を支配することの
ないように
神の定めた
調和の世界だ

森には
美もあり 愛もある
はげしい闘いもある
だが
ウソがない

 これは、中野孝次編「清貧の生きかた」に記載されている、森林学者の高橋延清さんの詩である。 自然に対し、人間がいかに傲慢になっているかを教えてくれているように感じられる。

 野尻赤川に計画されている産廃処理施設はウソで塗り固められているようだが、さて、今日の講演会にどれだけの参加があるだろうか? 気になる処である。

今日の暦から : 運動好きは足腰が丈夫

2008年10月20日

天皇の玉音放送

天皇の玉音放送

 外交官僚であった天木直人氏のブログ9月14日に、「この国の若者は「天皇の玉音放送」(朝日文庫)という本を読むべきである」という投稿があった。 自分自身、日本帝国軍による侵略戦争と戦後政治について、きちんとした認識を持っていなかったので、読んでみようと先日買い求めた。

 これまで日本人として生きて来て、過去の戦争についてのニュースや書籍雑誌などの多種多様な情報から、兵士、開拓民、民間人、大陸の市民、徴用された朝鮮人や中国人、慰安婦、解剖に供用された中国人(マルタ)などなど、日本帝国政府は未曾有の苦しみや殺戮を彼らに与えていたことを知って来た。
 しかし、戦後政府は、戦争責任を明確にせず、戦死した兵士を奉る靖国神社に参ることを美徳と教え、軍人遺族への多額な年金支給を行うなど、お国のために働いたという軍人だけを大事にしてきた。
 これに対し、東京などの空襲で罹災し亡くなった市民、沖縄戦で亡くなった市民、広島長崎の原爆投下による被害者などへの援助や給付はすべてに置き去りにされて来ていた。 何故なのだろうか?と疑問に思っていたのだが、本書を読むことでその謎が解けたと同時に、現在の政治・政府の質の悪さ、民を見ない官僚政治の全てが、昭和20年の昭和天皇の保身から始まっていたのだと確信することが出来た。

 本書は、これまでの新聞報道や明らかにされた政府文書、要人の日記などをきちんと精査し、年月に従い当時の天皇ヒロヒトや政府、GHQなどの動きを解明した上で論理を展開しており、あの戦争はアジアを救うための聖戦であったとやみくもに主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の面々とは論旨の質が全く異なっている。 著者は、「つくる会」の面々は彼等自身の「」により主張しており、実際の歴史を直視していないと説いている。 実のその通りだと思う。

 さて、本書の冒頭では、ポツダム宣言を受諾するかどうか決断するという局面の状況説明から始まっているのだが、ヒロヒトをはじめ参謀、大臣などは早期に決心せず、阿南にいたっては本土決戦を主張していたという。 すでに東京は大空襲を受け、広島長崎に巨大爆弾が落とされていてもだ。 東京大空襲以降、ドイツ降伏や原爆投下など、決断する時期はたびたびあったのに、無為に時間のみ経過させてしまっていた。 彼らの決断が早ければ早いほど、苦しむ国民の数はもっと減らせたであろう。 ヒロヒトが国体(=天皇)護持、三種の神器、つまりは自分の身の安全ばかり考えていた結果であったということだ。

 ヒロヒトのその保身姿勢は、マッカーサー着任後も変わらず、憲法9条や沖縄に米軍基地を置くことなども利用していたようだ。 つまり、ヒロヒトを戦犯とすると日本国内は混乱してしまうと、また、共産主義の脅威のため沖縄(日本)を防波堤にするよう勧めたのはヒロヒト自身であった。 沖縄人民は、連合軍の沖縄上陸作戦で苦渋を味わい、敗戦後再び棄民されていたのである。 何とも酷い話ではないか。 そして、その棄民政策が現代まで続いていることになる。

 さらに、1951年のサンフランシスコ講和条約にあわせ、武力を持たない日本を共産圏から守るために(旧)日米安保条約を締結したと、この時点から日本はアメリカに貢ぐ体制に置かれてしまったのである。 アメリカ国債を買ったり、思いやり予算で駐留軍費用を日本が払ったり、イラク侵略戦争に加担して石油をばら撒くのも、その具体的な現われである。 アメリカは50年(実際にはもっと短いであろう)の間に、日本の全てを掌中に収めたわけだ。 戦後の政治家や企業、官僚などは、アメリカに日本を提供する中で、それぞれの利権漁りに明け暮れて来たわけだ。 次の文章は、旧安保条約の前文を引用した、最終章の前のものだが、今の実態がよく分かるのでここに残すことにした。(続きへ)

 現代のワーキングプア、非正規雇用、社会保障や支給年金の劣悪化、などなど、全てが戦後のそういった流れの帰結であろうと思う。 アメリカ軍の原子力空母や原子力潜水艦まで日本に寄港するようになり、ロシアや中国、北朝鮮と一触即発にならなくても、ひとたび事故が発生すれば、日本国民の多くは放射能の危険にさらされてしまう。 そんな棄民政治で良いわけがないことぐらい、子供でも分かる。 そういう意味では、憲法9条改悪阻止は最後の砦かもしれない。 明日にも衆議院を通過する新テロ対策特別措置法改正案について、民主党は、参院でも早期採決に応じる方針だと言う。 野党ですら、この体たらくでは、若い人たちに、さっさと日本を捨てて海外へ行った方が良いと勧めるしかない。 実に悲しい。

本書の巻末に添付されたCDから

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2008年10月15日

草庵雪夜作

草庵雪夜作

 「草庵雪夜作」(そうあんせつやのさく)というのは、良寛の辞世の(漢)詩(遺偈/ゆいげ)である。 良寛終焉の地である、新潟県・島崎の木村家へはこの3月に訪ねたのだが、作品などの公開は行っていないようで、観覧はあたわず民家がひっそりとあるのみであった。

木村家

 今年は、良寛生誕250年記念だとかで、富山県の水墨美術館で、この木村家所蔵の良寛書などの展示を行ったようだ。 これを記念して良寛の書の複製を額装・軸装し販売すると案内が数日前に届いた。 上記の額装は39,900円、和歌巻にいたっては10万円を越える価格なので、おいそれと購入することは出来ない。

 カーグラフィックなど自動車専門誌を発行している二玄社は、全く異にする東洋美術(書道)の出版も行っており、何故か時々(自社商品の記載がある場合など)こちらから「出版ダイジェスト」という新聞から送られて来る。 その中に、この良寛展と複製品の販売の記載があったのだが、富山での公開は既に終了しているとのこと。

良寛年譜

今日の暦から : 美食過ぎれば身を滅ぼす

2008年10月13日

貧困大国アメリカ

貧困大国アメリカ

 堤 未果著「貧困大国アメリカ」を読んだ。 帯には、「教育、医療、戦争まで・・・ 極端な民営化の果ては?  米国の後を追う日本へ 海の向こうから警告する!」とある。

 数年前、アメリカを旅行した時、異様に太った若者の姿がしばしば見られ、その中には杖で支えなければ歩行がかなわない人もいたのに驚いた。 ハンバーグなどのジャンクフードが原因だとは分かっていたが、本書を見て貧困なるがゆえに肥満になるというアメリカの構図が分かった。 日本の生活保護に相当するらしい、フードスタンプという金券で貧困家庭は食事をまかなうわけだが、安く食費を済ませるとなると、カロリーの高いハンバーガーや冷凍(インスタント/レトルト)食品を食すことになる。 また、マグドナルドなどのハンバーガーチェーンは、学校給食事業まで販路を広げていると、子供達は昼食時にもカロリーの高い食事を摂ることで、肥満は一層加速されている。

 アメリカ内国歳入局の発表によると、2006年度の時点でおよそ6000万人のアメリカ国民が1日7ドル(700円)以下の収入で暮らしているという。
 「イラクや北朝鮮で非情な独裁者が国民を飢えさせていると大統領は言いますが、あなたの国の国民を飢えさせてるのは一体誰なの?と聞きたいです。」
 モニカの声には怒りとやりきれないさがにじむ。
 ブッシュ政権成立の年から貧困率はさらに上昇し、第一期の4年間で増加した貧困者の数が全米で約590万人にのぼる一方で、石油メジャー会社のCEOは400億円を軽く超える退職金を受け取り、格差は広がる一方だ。

 そして、ハリケーン・カトリーナによる災害を実例に、政府機関の民営化・自由化により、適正な災害予防が実施されず、結果多くの住民が洪水などの被害を受け難民状態になっているという。 更に高額な医療費のため、また医療保険にかかっていても保険会社の承認が得られず、病気になっても病院にも行けない人が続出。(以前に書いたSickoの項を参照) 逆に、医療ミスによる賠償保険に入るも高額な保険料が払えずに医者の廃業も増えているらしい。 病院に泊まると高額な請求があるので、ティッシュやガーゼなどは自前で購入するとか、妊婦が子供を出産しても入院せずに、その日のうちに帰宅する人がいるとのことである。(以下、続きへ) 

今日の暦から : 毎朝コップ一杯の水で健康

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2008年10月 7日

十七歳の夏

十七歳の夏 今年2月に長崎で買い求めた「十七歳の夏」をやっと読み終えた。 何も難しい本ではないのだが、あちらこちら目移りしているうちに書棚に隠れていたのであった。
 著者は、長崎のカトリック修道院に所属する小崎登明さんという修道士さんであるが、この名は本名ではなく修道名であり、ペンネームでもある。 もっとも、秀吉時代にキリシタン迫害により長崎で殉教した26名の信徒や修道士達の中に、弱冠14歳のトマス小崎がおり、こちらから(霊)名をいただいたようだ。(トマスの漢字表記が登明であった由)

 著者は、1945年8月9日長崎の原子爆弾を体験したと、その時の様子を表す所から本書は始まっている。
 著者17歳の時、トンネル内の魚雷製作工場で働いていて、たまたま日勤であったので、直接原爆の被害に会っていなかった。 しかし、悲惨な被災状況に母親のことが心配になり、家に戻るも跡形もない状態で、母親の影すら探すことが出来なかったとのこと。 彼の人生の原点はここから出発している。

長崎・原爆の日、廃墟の丘で、ふしぎと生かされていた17歳の私は、この世の壊れゆく現実のなかに、神の声が聞こえて来たかおのように思う。 燃えさかる多くの死体を見たとき、頭上に神の光が閃いたように思う。 「この世で、何が、大切か。 これからの人生で学びなさい」以来、カトリック修道士となって、価値観を変えて、殉教者日本26聖人のひとり、聖トマス小崎の名前をいただいて、牛歩の歩みを続けてきた。

 現在は、聖母の騎士修道院内にある聖コルベ記念館の館長のようなことをされているようで、訪ねた際しばし立ち話をしたが、彼が言う「所詮、人間は孤独」という言葉に言い尽くせない悲しみに溢れた半生ではなかったかと、大変重いものを感じた。

 さて、この修道院の名は知らなくても、会に所属していた、コルベ神父ゼノ修道士という名であれば、どこかで聞いたと思い出される方も居られるであろう。 お二人とも1930年に訪日し、コルベ神父は出版を中心に仕事をされて6年後にはポーランドへ帰国している。 その後、ナチスに囚われ、アウシュビッツで制裁のため殺されようとした市民の代わりとして処刑されている。 またゼノ修道士は一人布教活動をしていたようで、戦後東京・浅草の墨田公園周辺で廃品回収を生業としていた人々と労苦を共にしていたようだ。 蟻の町のマリアと称せられる、北原玲子さんの話もかなり知られたものであった。

 次の写真は、修道院の聖堂に飾られたコルベ神父の肖像画、コルベ神父の髪の毛が納められた置物、コルベ神父が日本に滞在した時に仕事をした机である。

修道院の聖堂に飾られたコルベ神父の肖像画
コルベ神父が日本に滞在した時に仕事をした机
コルベ神父の髪の毛が納められた置物

今日の暦から : 冷水摩擦で風邪知らず